最近、仕事で帰りが遅くなる日が続きました。
わたしが帰宅するまでの時間に、小学校高学年になる娘たちが、洗濯物を取り込んで片づけたり、乾いた食器をしまってくれたり、お風呂を沸かして先に入って待ってくれていました。子供たちの家事力に脱帽。とっても助かっております。成長を心から感じます。
もちろん最初からこんなふうに何でもできたわけではありません。家族協力し合って乗り越えないとやっていけないほどのしんどい日々があったから。
以下は、一年間に及ぶ抗がん剤治療が終わって3か月ほどたった2021年4月13日に書いた記事です。治療中に利用したシルバーさんのこと、その時の気持ちを忘れないために残したくて書きました。3回に分けてリライトします。
見えない先の不安
トリプルネガティブ乳がん再再発がわかり即手術。
そして悩みに悩んだ末、テセントリク(免疫チェックポイント阻害薬)とアブラキサン(抗がん剤)の治療を始めることを決断しました。
期間は未定。少なくとも一年は続けましょうという話でした。
終わりの見えない治療に、自分がこれからどのくらいしんどくなっていくのか、わからないことに不安を感じていました。
今となっては、しんどくなってから考えたらいいことだったのかもしれません。
だけど、その時は「わからない」恐怖が大きくて不安な日々でした。
気楽に考えることができなかった、見えない不安がしんどかった当時。娘たちもまだまだ幼い小学校低学年。
子供たちを不安にさせないために必死で前を向こうとしていた時でした。
なにがそんなに不安でしんどいと感じていたのか
子供たちが小学校から帰宅する夕方の時間。
リビングに散らばる二つのランドセル。
漢字練習の百字帳、本読みの宿題、計算ドリル……一気に宿題が始まります。
どっちが先に本読みを聞いてもらうかで姉妹喧嘩が始まり、二人分の本読みを聞いて、計算ドリルの丸つけをして、漢字に間違いがないか確認して。(長女の漢字ミスが多くて……)
このような毎日の宿題を二人分確認。そして夕飯の準備。
正直「しんどい」でした。
そう思いつつも、一緒に遊んであげることが出来ない、何もしてあげれない、元気じゃない母親だから
せめて宿題くらいは……
晩御飯の準備くらいはちゃんと……
と、勝手に肩の荷を重くしていたあの時のわたし。
「娘たちに寂しい思いをさせていないか。そして宿題の確認をして晩御飯を作れるか……」
これがわたしの不安としんどさでした。
夫に頼めばよかったのですが、それでなくても色んな家事を手伝ってくれています。
疲れて帰ってきて宿題まで頼めない、小学校関係のことは全部わたしがやらなくては、と背負い込んでいました。
(今となっては翌朝にお願いしても良かったのかもしれません。現在は宿題チェックは夫に任せています。)
友人から思わぬ提案
「シルバーさんに来てもらったら?」
そんな不安を友達に話したら、
と教えてもらいました。
家事援助……子供の宿題と夕飯準備にアウトソーシングという発想がなかったわたしは
ほほーーーーーっと目から鱗でした。
目の前の楽より、先の不安が勝ったわたしは、すぐにお願いしよう!! とはならず、躊躇いました。
夫は、「家のことは俺が全部やれば良いだけのことやし」
そう言うのですが、負担をかけては申し訳ないと感じ、全部を夫に任せることにわたしの気持ちは楽に思えませんでした。
みんなが楽で快適に過ごすには。
悩んだ結果、シルバーさんにお願いしてみることにしました。
お金のことが心配でしたが、ずっと続けるわけじゃないし、本当に生活が苦しくなったらやめればいいだけのこと、と。
なんでも先のことを心配するわたしが、「その時の心配はその時考えよう」と思えた、一歩前進できた瞬間でした。
今回はここまで。次回は、シルバーさんにお願いする方法をお伝えします。
神戸 トラベルイラストレーター えやひろみ