
たまに、無性に描きたくなるものがあります。
旅先の風景でもなく、人物でもなく。
食べ物です。
なかでも、「目玉焼き」。
ぷっくりと盛り上がった半熟の黄身と、少し焼き色のついた白身。
無心になって色鉛筆を走らせているうちに、目玉焼きは一枚のキャンバス作品へと変化していきました。
そして最後には、なぜか南国の島に。
今回は、そんな「目玉焼きの絵」が生まれた数日間のお話です。
たまに無性に描きたくなる、目玉焼き
以前から、無性に目玉焼きを描きたくなることがあります。
理由は、自分でもよくわかりません。
でも、ぷっくりとした半熟の黄身や、少し焦げ目のついた白身のことを考えると、なんだか描きたくなってしまうのです。
夏休みも終わりを迎えている頃。
娘たちが勉強している傍で、わたしもスケッチブックを広げ、色鉛筆で目玉焼きの絵を描き始めました。
突っつくと、黄身がジュワ〜っと出てきそうな目玉焼きを思い浮かべながら、色を重ねていく。
黄色だけではない黄身の色。
白だけではない白身の色。
ただひたすら、色を重ねていきました。
色鉛筆で描く時間は、わたしにとっての「写経」
色鉛筆で細かく描いていると、だんだん頭の中が静かになっていきます。
「次は何をしよう。」
「これをやっている間に、あれも終わらせられるな。」
仕事をしながら、家事や育児をしていると、効率よく動くために頭をフル回転させる毎日です。
「どうすれば一番効率がいいか。」
「この順番でやれば時間を短縮できる。」
そんなふうに、タイパを追求しながら毎日を送っている人は、きっと多いのではないでしょうか。
わたしも、その一人です。
でも、忙しい時こそ、日常のあれこれから少し離れて、ただ目の前の絵と向き合う。
わたしにとって、この時間は少し「写経」に似ています。
描いていくうちに段々と無心になっていく。
完成させることだけが目的ではなく、描いている時間そのものを味わう。
上手く描こうとはしない。
ただ、色を重ねていく。
すると、目の前の作品がだんだん愛おしく思えてきます。
作品を通じて、どんな自分も全部OKに思えてくる。
わたしにとって、絵を描く時間は、気持ちをリセットする瞑想のような時間なのかもしれません。
目玉焼き型ポーチとの出会い

ポップアップで見つけた目玉焼きポーチ
色鉛筆で目玉焼きを描いた次の日。
百貨店のポップアップを通りがかると、なんと、目玉焼き型のポーチを見つけました。
迷わず購入。
そのことが嬉しくて、家に帰ってから家族それぞれに報告しました。
次女には、
「さっきもその話、聞いたで。」
と言われたほどです。
それくらい、嬉しかったようです。
日曜日のブランチにも、目玉焼き
そして、その翌日。
家族みんなで少し朝寝坊をして、のんびり過ごした日曜日。
ブランチで、夫が目玉焼きを焼いてくれました。
前日のわたしの喜びようが、よっぽど印象的だったのでしょう。
その目玉焼きを見て、今度はキャンバスに描きたくなりました。
食べ終えると、わたしはアクリル絵の具を出して、キャンバスに目玉焼きを描き始めました。
絵の具の準備は、色鉛筆よりも少し手間がかかります。
それでも描きたくなる時というのは、わたしの中で何かのスイッチが押された瞬間。
「今、これを描きたい。」
そんな気持ちが湧いてきた時は、少し面倒でも描いてみる。
その先に何が生まれるのかは、自分でもわからないからです。
「好きな色で塗ったらいいやん」から始まった背景
キャンバスの真ん中に、デーンと目玉焼きを描いたあと。
しばらく背景の色に迷っていました。
何色にしよう。
どうすればまとまるかな。
そんなふうに考えていた時、次女が言いました。
「好きな色で塗ったらいいやん。」と。
確かに。
わたしは子どもたちにはよく、
「好きなようにやったらいいやん。」
と言っているのに、自分のこととなると、つい頭を使ってしまいます。
娘の言葉の通り、好きな色を塗り始めました。
正解を探すのではなく。
どう見えるかを考えすぎるのでもなく。
ただ、自分が好きな色を重ねていく。
すると、だんだん背景が海のように見えてきました。
そして、そこに浮かぶ目玉焼きが……島に見えてきたのです。
南国に浮かぶ、目玉焼きの島

こうして完成したのが、「南国に浮かぶ目玉焼きの島」です。
透き通る青い海に浮かぶ、目玉焼きのような島。
目玉焼きにかかった青のりは、島に生えている草のつもりです。
今はまだ芽が生えたばかり。
でも、いつかそのうち、生い茂ってくるかもしれません。
最初から「南国の島を描こう」と決めていたわけではありません。
ただ、目玉焼きを描き始めた。
好きな色を重ねてみた。
そうして、できあがった島です。
南国に行かないと夏が終われないのかもしれない
今年の夏は、南国には行きませんでした。
わたしは心のどこかで、
「南国に行かないと夏が終われない。」
と思っていたのかもしれません。
その気持ちが、知らず知らずのうちに絵の中に出てきたのかも。
でも、実際に南国へ行かなくても、絵の中ならいつでも行ける。
目玉焼きだって、島にできる。
描いているうちに、自分でも思っていなかった場所へ連れて行ってくれる。
そんなところが、絵を描くことの面白さなのかもしれません。
でも、わたしは、想像の中だけではなく、実際に旅に出たい。
それが、本音なんだと思います。
なぜ、目玉焼き?
ところで。
なぜ、目玉焼きなのでしょうか。
卵料理全般、なんでも好きです。
とろ〜りと黄身がこぼれそうな半熟卵も好きだし、プルンプルンに焼き上がったオムレツも好き。
でも、描くとなったら目玉焼き。
フライパンにただ卵を割って焼くだけの目玉焼きって、簡単そうで、実は難しい。
黄身も白身も、固すぎず、柔らかすぎず。
でも、白身には少し焼き跡がほしい。
上手く焼けても、お皿に盛る時に失敗することもある。
きれいな形のまま運べても、お皿の着地点を間違える時もある。
それでも、お皿に目玉焼きがあると、なんだか嬉しい。
朝ごはんだったら、主役っぽい。
でも、夕飯のハンバーグに添えられていたら、脇役なのに存在感があって、なんだか特別感まで増す。
いろんな立ち位置で、楽しませてくれる存在。
いろんな感じ方をさせてくれる。
そんなところが面白くて、わたしは目玉焼きが好きなのかもしれません。
でも、単純に「好き」なんだ。
理由なんて、後から考えればいい。
ただ好き。
そんな存在に、わたしもなれたらいいな。
そんなことを思った、2026年の夏の終わりでした。
作品情報
作品名:南国に浮かぶ目玉焼きの島
2026年夏
キャンバス SM(227mm × 158mm)
アクリル絵の具
南国には行かなかった夏の終わり。
絵をいつも心を表す。
神戸 トラベルイラストレーター えやひろみ
