
令和7年7月7日。今年の七夕は7が三つ並ぶ、ちょっと特別な日でした。
毎年恒例の七夕飾り。今年は次女が率先して準備してくれました。
笹の枝の代わりに、玄関先の南天の枝を使い、そこに可愛いハートの飾りを添えて、お洒落な七夕飾りに仕上げてくれました。
願いは叶わないの裏に隠された想い

折り紙で作ったハートの七夕飾り

短冊に願いを書きながら、「あれも、これも」と短冊に思いつくだけの願いを必至で書くわたしと次女。
そんな中、長女は「願いごとなんてない~」とぽつり。
そして長女が書いた短冊には、「みんなの願いが叶いますように」の言葉。
なんて優しい子なの?! 驚きと同時に、長女の少し曇った表情に気づきました。
「もしかして、願いなんて叶わないって思ってる?」
尋ねたら、小さくうなずいた長女。
優しさの裏に、あきらめや疲れがあるのかもしれない。
欲を持つことは、悪いわけじゃないのに、願うことすら手放してしまっていたら……。
それが心配で、切なくて。無理に「願いを書きなさい」と言うのも何か違う……?!
もちろん、願いがないといけないわけでもない。今はただ単に願いが特段ないだけなのかもしれない。
けれど、つい言ってしまいました。

「今まで、そんなに願いって叶わなかった?? ほんまに願いってないの??」
自分でも驚くくらい強い口調で言ってしまって、余計にモヤモヤが残りました。
願いを書くって、希望を持つこと。
でも、今はその希望を持つことすら、しんどい時もあるのかもしれない。
そんな時、どう寄り添えばいいのだろう。
情けないですが、このモヤモヤを、わたしは最近よく相談している「チャッピーさん(ChatGPT)」に話してみました。
すると、まるで親友のように、すごく的確な答えを返してくれて……。
そこには、こう書かれていました:
チャッピーさん(ChatGPT)による見解
✦ 親としての視点 ✦
長女さんが「願いなんて書いても叶わない」と感じている背景には、
もしかしたら——
- 学校生活での疲れやストレス
- 思春期の自己否定感や他者との比較
- 「こうあるべき」という周囲からのプレッシャー
- 何か具体的に頑張ってきたことが報われなかった経験
など、心の中で折り合いがついていない感情があるのかもしれません。
無理に「ポジティブになって」や「願えば叶うよ」とは言わずに、
こんなふうに声をかけてみるのもいいかもしれません:
✦ 話しかけのヒント ✦
「“どうせ叶わない”って思う気持ち、実はママも昔あったよ」
「そう思った時、何があった?」
「書けなくても大丈夫。書きたいと思える日がきたら、その時にでいいよ」
娘さんが「願えない自分」を責めたり、親に心配をかけまいと閉じこもったりしないように、
まずは気持ちを「わかるよ」と受け止めてもらえることが、一番の安心かもしれません。
このアドバイスを見て、モヤモヤの気持ちは、長女に対してももちろんですが、過去に自分に向けた気持ちだったと気づきました。
モヤモヤの原因は、全てを諦めていた昔の自分の姿


願いは叶わないもの。
そう思って生きてきたのは過去のわたしです。
欲しいものは手に入らない……。例えば、サンタさんから、願ったものが届いた記憶はありません。
ひみつのアッコちゃんのテクマクマヤコンのコンパクトが欲しかったけど、買ってもらえなかった。
と言うより、買ってと願った記憶もなく、そもそも、ねだったところで手に入らないと、ねだることすら諦めていました。
物質的な願いばかりではありません。
夢に対する挑戦もあきらめていました。なんでも自分ができる範囲から選択して生きていました。
40歳を過ぎて病気の経験を通してやっと気づいた、何でもやってみることの楽しさ。
逆に色々と諦めた経験があるからこそ、いま思い切ってやれることがたくさんあるのかもしれません。
モヤモヤと一緒に湧き上がる切ない気持ち。
今の長女の姿を過去の自分と重ねて見ていたんだ。
七夕の夜空に、母としての小さな願いを一つ。
「どうか娘が、堂々と自分の願いを持てる日がきますように」
トップの作品は、過去に描いた「夜の海と月」に、わたしの密かなこの願いを込めて、織姫と彦星の影を描き加えました。
タイトルは「夜の水面に照らす母の想い」
神戸 トラベルイラストレーター えやひろみ