
今日で、阪神・淡路大震災から31年。
当時、わたしは中学2年生でした。
同じマンションには、生まれたばかりの赤ちゃんがいました。
その子も、もう31歳。
どんな大人になっているのかな。
きっと元気に暮らしているだろうと、今も願っています。
家は半壊しましたが、家族は全員無事でした。
母は頭から血を流す大けがをしましたが、今も元気に暮らしています。
当時、「24時間働けますか〜ビジネスマン♪」というCMがありましたが、まさにそんな働き方をしていた父は、日曜以外ほとんど家にいない人でした。だから被災時は、家族みんなで過ごせた、珍しい貴重な時間でした。
同じマンションのお父さんたちも、きっと似たような状況だったのだと思います。震災後、初めて顔を合わせた近所のお父さんもいました。みんなで言葉を交わし、助け合いました。
マンションの住人家族みんなで一致団結して過ごしたあの時間は、地震のつらさや悲しさというより、寒かったけれど、集まって協力し合った非日常の温かい記憶として残っています。
今のわたしより、少し若かった両親たち大人に守られて、当時のわたしたちは安心して過ごすことができました。
こんなふうに語れるのも、助かった命があるからこそ。
今もなお、つらくて、忘れたい、けれど忘れてはいけない——そんな葛藤を抱えている方がたくさんいることも、忘れてはいけないと思います。
中学生だったわたしは、3学期の行事が次々と中止になりました。実力テストも、部活の大会も。
大人になってから、中学校の学校だよりを読み返したとき、実は京都遠足を控えていたけれど、震災で中止になり、
その代わりに運動場で炊き出しをして地域の人にふるまった、という記事を見つけて驚きました。
炊き出しをした記憶は、はっきり覚えています。でも、京都遠足が中止になったことは、まったく覚えていませんでした。
久しぶりに同級生と再会できたうれしさ、空の下で、余震に怯えず、のびのびとご飯を炊いた気持ちよさ。その記憶のほうが、ずっと大きかったのです。
もしかしたら大人たちは、
「遠足がなくなって残念だね」「かわいそうだね」
そんな言葉ではなく、前向きな声かけをして、静かに見守ってくれていたのかもしれません。
だからこそ、その時できることに、全力で向き合えたのだと思います。
記憶に新しい、コロナ禍。
娘たちは、小学校低学年からの数年間を過ごしました。
多くの行事が中止になり、入学式や卒業式が行われなかった子もいます。
わたし自身の震災の記憶があったからこそ、
「行事がなくなってかわいそうだね」という声かけだけは、しないように心がけました。
大人になったとき、
「かわいそうな小学校時代」ではなく、「大変だったけれど、家の時間が楽しかった」「どうにか乗り越えたよね」
そんな強さの記憶に変わってほしかったからです。
当時の両親や大人たちが、未成年だったわたしたちを守ってくれたように。今度は、わたしたちが、子どもたちを守れる強さを持っていたい。
命があるから、こうして書くことができます。だからこそ、今生きているわたしは、これからも全力で生きたいと思います。
今日という一日を大切に。
それぞれの場所で、精いっぱい生きていけますように。
神戸 トラベルイラストレーター えやひろみ
